「何を言ったか?」よりも「誰が言ったか?」を優先している人へ
こんにちは、Stakurowです。
副業を始めるといろんな人と出会って多様な価値観や考え方、捉え方を共有できたりして、その紙業のトップの方でしたり主催者の話を聞いたり、
セミナーに参加したりして、気付くこと、気付かされることがあり学びになります。
だからといって、話を聞くときは頭を空っぽにして聞いているわけではありません。
それはタイトルでもそうですが
「誰が言ったか?」よりも「何を言ってるか?」と「何を言ってないのか?」を意識して傾聴しております。
これは、僕が尊敬する人やメンターに対してもそうです。
信用はしてますよ。疑いの目を持つことも忘れずに。
何故か?
誰が言ったか?を優先する人たちへ
まず「誰が言ったか?」を重視するのは「 考えることもできない思考停止の人間です」と言ってるようなもんです。
だって楽ですもんね。自分は何もしなくてもいいし責任を取る必要性もない。そこには信用が絡んでくるでしょうが、
「信用」については後ほど述べますが、大抵その人の努力の結果だと言う人がいますが半分間違ってますよ。
「○○が言ってたから大丈夫!」という「謎の自信」と「信用」と「安心材料」を兼ねそろえた思考停止のワード。
根拠なき自信というよりもただの過信に過ぎない。
そして、自己啓発本や某インフルエンサーの言葉に真に受ける。何も学習せずまた同じことを繰り返す。この手の人達Newspicks関連、ホリエモンや落合陽一のフォロワーが多かったりしますし、最近だとブランド人になりたいのでしょうかね?
死ぬこと以外はかすり傷だと思ってるならとっくに成功してますよね?
「フォロワー1000人以下はゴミ!」というツイートも真に受けて「誰が言ったか?」を優先してますしね。
「感動しました!」とか「頑張ります!」と言っておきながらその後は何も変わってないんですね。エナジードリンク飲んで一時的にハイになってるようなもんですから、ホントバカだなと。
家族や会社内の場合
グループ内では「どのような意見が適当か?」よりも「リーダー(若しくはそれに近しい存在)がどう判断するか?」の方が重要視される。群れの意思決定コストは低ければ低いほど良いし無駄な労力は必要ない。
群れが全体の行動を決定する場合もそうである。
総員の意見を精査するよりも、第一人者の独断に委ねた方が意思決定速度が上がり、生存確率が高まるからである。
優秀なリーダーだったら別にいいんですよ。それも一つの方法論としては否定する気はありません。
そして時代に適した方法論であれば尚更否定しません。
しかしながら、全然実力もなく年功序列だけで昇進した中間管理職的な立場や理不尽な人間は「責任は俺が取る!」と言っておきながら平然と責任転嫁しますから期待するだけ無駄ですし、自分の立場が危ぶまれる。
過去に友達や会社の同僚や上司にも言われたことありませんか?
「お前、過去散々こんな心配させたくせに」「お前、昔は、あーだったくせに」
「何お前なんかが偉そうに言ってるんだ」と。特に家族で何か揉め事やいざこざがあった時に、自分なりの正論を言った結果、過去の話をネタにフルボッコで言い返された経験はありませんか?
「いや、これはこうじゃないの?」というふうにあなたが言ったら、家族から「お前が言うな」、「お前、過去散々こんな心配させたくせに」、「お前、昔は、あーだったくせに」「何お前なんかが偉そうに言ってるんだ」「義務を果たしてから権利を主張しろ!」と言い返されて、ざっくり切られてるみたいな経験ありませんかね?
家族から自分の過去のことを引き合いに出されたり、会社内の上司から自分の言った主張の正当性を否定されたという経験です。
ホントに教養の無い人種がやりがちなパターンです。
色眼鏡で物事や言動を見てるのか?
たとえば
ガンジーが「人を殺すのは良くない」って言った時、やっぱりそれは「ガンジーが言うから重みがあるな」とかって感じるじゃないですか。
「やっぱりこの人が言うと違うな」みたいな。ほとんどの人はそう考えると思います。
ではガンジー位の志を持った別の人物が言ったとしてもそう思いますか?
経歴や生い立ちが違ってたとしても。
自分より年下だとか実力や実績が足りないだとか、有名人ではないから、タレントではないから、政治家ではないから、成功者ではないからと脳裏によぎってるはずですし、
一方で、これまた極端ですけれど、ヒトラーが戦争を終えてから、本当に反省したとして、「人を殺すのは本当に良くない!良くないんだ!」と言ったと仮定した場合、「いやいや、お前が言うなー!」というような気持ちにはなりますが、主張だけ見てみると内容はガンジーと一緒なんですよ。
ヒトラーもガンジーも共通して言った事が「人を殺すのは良くない」ですよね。その主張だけ取り上げると、その主張そのものには問題ないわけですよ。
タレントだと不倫ですかね。
僕はタレントの不倫については基本興味ないしどうでもいいと思ってるんですけど、一部に関しては言わざるを得ない。
この人が言えば不倫は当然だし仕方ないよね? となるんでしょうかね。結局「誰が言ったか?」になる。
カッコイイとか潔いとか、相手の豊原は情けなくてダメだとかそんなことじゃないんですよ。
コメンテーターは肯定的な意見しか述べないのは事務所の後ろ盾と金銭的な理由と、正論を言うと干されるから。
自分が欲しいものを他人の家庭環境を壊して手に入れる姿は潔くてカッコいいんですね?なんてったってアイドルですからね?
「信用」が絡んだ部分
事実、実力無きどこの馬の骨ともわからない人の言葉なんて誰にも届きませんし、信憑性もありません。
人間は、自分よりもすごい人、自分よりもお金を稼いでいる人だったり、
実績を持っている人だったり、有名人だったりすると尚更です。
Twitterで「おはよう」とツイートしただけで何万RTが当たり前の世界。
しかし、「何を言ったか?」よりも「誰が言ったか?」を優先する人たちにありがちなのは
これまで素直に誠実に、努力を重ねて来た人の言葉は、どんな言葉であっても興味深く受け取ってもらえるという認識。
これまで不誠実であったり、努力を怠ってきた人の言葉は、どんなに良い言葉であっても全く聞き入れられないという事実。
それは単なる思い込みであり、相手の錯覚資産に気付けてない。
イケハヤ先生は、そのようなことを仰ってますね。
おそらくご自身の都合が悪くなったら困るから(築き上げた錯覚資産が崩れるから?)、あえてこう言ってるんでしょうな。不都合な(事実の)批評は速攻でブロックしますしね。アンチの言ってることは気にするなとか言っておきながら一番気にしている張本人がホントバカげてますね。
だからインフルエンサーと呼ばれる人達の最近の行動を見るとあまりのクソっぷりが目立ってくるんですね。
まぁそれは置いといて。
イケハヤ先生に限らず、不特定多数も同じ認識をされてるのかもしれない。
これは言葉よりも「行動」を見ているのではないかと。発言者の”行動”こそが”言葉”であるという認識でとらえてる可能性あり。
ただ、イケハヤ先生がちゃんと「行動」を見ているかは別の話。
その「行動」とはひも解いていけば「行動=言葉(相手の肩書き×実力×結果+信用(という名の錯覚資産))」ですから、
「○○が言うなら、間違いない」と信頼されるような、言葉に重みが生まれてくるという発想。
その説得力のおかげで何かに取り組んで悩んでいたことが解決して、自分自身が前に進むこともできたりしますし、有料noteを購入する際の判断基準としては全然ありですよ
しかし、思考を巡らせることなく依存してばかりでは、ものごとの本質を見極めることができなくなっていきますよ。
肩書や信用なんざ偽造できますし、偽造硬貨によって「実力」と「結果」も偽造の数値が入ってくるので、最近で言うと「錯覚資産」の効果によって
見せ方は大きく変えられるんですしね。
極論ですけど、信頼や実績があるなら何してもいいよねってハナシになりますよ。そこに責任力は皆無です。
おわりに
「誰が言ったか」に振り回されてはいけない。「何を言ったか」に、きちんと向き合わなければいけない。
自分の人生。誰が守ってくれるんですか?
自分の人生、己の行動に責任を持ちましょう。
独立したら、全て自己責任の世界です。
全ての原因は外側になく
内側にある
もともとインフルエンサーと繋がってて、彼らに取り上げてもらうことで爆速でフォロワー獲得したアカウント様(disってないよ)に対して、
— 秋乃 (@akino_ura) 2019年1月6日
「すごいっす!」「本物は違います!」「学ばせて頂きます!」って、ホントにお祭りと盲信が好きだな。弱いのに、圧倒的強者や絶対王者を参考にするんだな。
「誰から学ぶか?」がヘタクソだから、弱いままなんだよ
— 秋乃 (@akino_ura) 2019年1月6日
みんながフォローしてるから!
絶賛してるから!
すごい人が褒めてたから!
なんかすごそうだから!
そんな理由で学ぶ人を選ぶ、その思考回路と気合いが、弱いままの原因だよ
僕がフォローしてる方からのツイートが結構大事なことを言ってますね。
これも「誰が言ってるか?」よりも「何を言ってるか?」をフォーカスできれば、モノの見え方、捉え方、考え方が変わっていくかと思います。
この話は交流会や事業説明会、ネットワークビジネスの成功者のトークにおいて
傾聴する際に注意しながら聞いてみるといいですよ。
口がうまいので都合の良い事実しか述べませんからね。