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『無知』は罪なのか? ~インプット・アウトプット・守破離のお話~

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無知は罪なのか?インプット・アウトプット・守破離のお話

 

『無知は罪である』という言葉。人間全員が聞いてるこの言葉。社会人になったら耳にタコができる寸前まで聞かされた言葉。

大概は「聴くときは一時の恥、知らぬままは一生の恥」とセットで唱えられてるのが一般的か?

 

目次

 

 

 

改めてこの言葉をどう捉えるのか?

あたまわるいひと

人間だれしも全能なタイプはいるわけじゃないし、神様じゃないんだから無理がありますよ。

 

 

学校や社会で一度教えてもらったことを確認や精査しないままでいるのはマズいし、ある意味「罪」ではあるか?

 

 

せっかく人間として生まれてきた以上は「考える力」がある訳ですから無知であり続けると、特に組織に属していた場合、会社のトラブルの引き金になる場合もあるし、同業種での交流で会話がずっと合わないままだと相手は離れていきますしね。

 

 


状況によっては「知らなかった」では済まされないことも。それにニュースの司会をやってるタレントがずっと無知のままだと話になりませんしねぇ、鳥越俊太郎さん。

知ったかぶりは見苦しいですよ。

 

 

2.3年前に会ったコンビニのアイスのコーナーのBOXのなかに入ってSNSに投稿するアホンダラは無知以前の問題であるが…

 

 

もともとはソクラテスが唱えてた「無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり」から由来する。

www.tabe-atl.net

 

 

 

正直、日本人だし「知らぬが仏」の世界であるが昔は意味は下記のサイトの内容であったが現在は遠回しに無知な人をディスってるか、「知らないほうが幸せだったね」と使われる感じであろう。

kotowaza-allguide.com

では冒頭で唱えた行為以外の場合、現在は本当に『無知は罪である』という言葉は当てはまるのか?
ソクラテスが唱えてからかなりの世紀が経っているわけだから、彼の唱えた言葉を現代風に落とし込むとしたらどうなるか?

 

 

自然に無知になってたのは仕方ない。

 

 

まず、マナーや礼儀は時代に応じて変化するから今まで覚えていたことが知らないうちに非常識な行為であったことが後々解ったりしますが、まぁ、それはマナー講師が新たな非常識を勝手に作って世間に広めようとしてる意図もあったりと

 

 

子供の時に学校で習った歴史が現在では全然違う内容を授業で教えてたりするから、職場の後輩と話したときに初めて分かったり。

 


未だに同僚で「1192(いい国)創ろう鎌倉幕府」だと認識している者もいるし、ヒロシはYOUTUBEのソロキャンプの動画でそこそこ成功してたり、小梅太夫が不動産投資で成功してたりするし。

 

そこは自然と無知になってしまったことは仕方ない部分ではある。

 

 

知らないことは恥じないマインドを持つ


現在は知識に関しては書籍やネットで簡単に得る事が出来きて、あなたが興味さえもてば、情報はいくらでも得る事は出来ます。

 

冒頭で『無知は罪である』という言葉は「聴くときは一時の恥、知らぬままは一生の恥」とセットで唱えられてるのが一般的だと唱えたが、現在は「恥」を書く必要がない。

 

ていうか「恥」をかいてる場合ではないし、プライド捨てて「そんなことどうでもよい」といった恥じないマインドを持っておくのが良い。そうすればネットよりも先に鮮度の高い情報を手にすることもできたりする。

 


何せ、現在はただでさえ情報が多すぎるもんだから、日常や専門外な情報を常にキャッチするのは人間である以上は無理である。

 


だから自分の得意分野や苦手分野で分からないことがあったら、身近に詳しい人が聞いたら早いわけだし、自分が分からないことをあれこれ考えているのは時間の無駄。

 


たまに「質の悪い質問してんじゃねぇ!!」とアホな上司や先輩がいるが、このパターンは無視するか深く関わらないほうがよい。

 

彼らは「報・連・相」の「相」を怠った人種だ。そんな言葉を後輩に投げてるんだったら組織として終わるのは時間の問題である他に

 

 

以前はネット上で誰かに疑問を投げかけても「ググれカス!」と言われてた時期がありGoogle先生にはお世話になっておりましたが、
現在は情報が多すぎるし、フェイクニュースもテレビ・ネット問わずあるし、アホなブロガーがわけわかんない情報を発信するし「ググってもカス!」な内容が蔓延しているから、自分で確かめて情報を咀嚼し取り入れて行動しないと己の糧にならない。

 

 

守破離=インプットとアウトプット

 


ただし、知識を得た所で、それ自体は情報なので、行動したり、体を成さなければ、なんの意味もありません。ただインプットしたに過ぎない。


守破離」の「守」の段階でしか進んでない。インプットだけじゃ時間が経てば覚えた情報が曖昧になるか忘れてしまいます。

 

結局、本やネットで情報を得ても身につかないし、インプットした情報や知識を咀嚼してアウトプットする行為と行動をしていかないと最終的には身につかず、ある意味「無知」の状態になる。

 


咀嚼の部分は「破」であり、アウトプットは「離」となる。

 


「破」は咀嚼のほかに取り入れた情報の己のブレンド力・アレンジ力が問われるので大事な部分になるため、アウトプットする場合は人によっては異なったりする。ということはオリジナリティーが発揮される箇所になってくる訳である。

 


だから上記を踏まえインプット・アウトプットのサイクルが出来てないと得るものがない。

 

おわりに

 


インプット・アウトプットおよび守破離が出来たとしても最終的には腐る。
情報や流行・トレンドのサイクルはもっと加速するだろうから、捨てていくことを前提に取り込んでいったほうがよろしいかと思います。

 

ソクラテス