不定期思考回路

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「わからない」と答えていい。

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「わからない」と答えていい。

とある著者は唱える。恥ずかしがらなくても意見がないのは「知能の低さ」「頭の悪さ」の表れではない。「知性の表れ」である。

そして意見がないことはまた、財産でもある。

 

 

news.nifty.com

 

 

 

#検察庁法改正案に抗議します

 

↑ Twitter上で芸能人や著名人が上記タグを使い訴えていた昨今、その唱えた者達はどうなったか?

結局炎上している。そしてツイートを消去している者がいるが、現代においてスクリーンショットを取っている者がいるから証拠は永遠に残ってしまうから逃れることは出来ない。今回の出来事が風化して忘れられるのを待つしかないか?

 

よくツイートや名言、プレゼンなどで「何を言うかよりも誰が言うかが大事」という場面があるが、今回の場合はこの訴えに賛同したものが誰であろうと負けなのである。なんでも勝とうとしない。負けが確定する戦いには潔く逃げることである。

 

特にきゃりーぱみゅぱみゅでしたっけ(ドラえもん口調で言うと、とても言いやすい)。彼女以外でも政治とは程遠いキャラクターが突然政治的な発言などするとファンであれ一般人であれ、あのツイートを見た時皆様は違和感しかなかったんじゃないかと。しかも情報の提供元が信頼できる友達とは非常に香ばしい。

 

ただこの件をきっかけに日本の政治関係に興味を持っていく姿勢があるなら素晴らしい事ではないか?だとしたら今回は始まりに過ぎないので、誰がどう言おう関係なく間違っていようが意見を唱えて理解していくのなら。

 

んで結果が出たのに誰も言わないのは何故なのよと。

あれだけ拡散希望とか必死に呼びかけていたのに、それほど騒ぐことではないと気付いたのか、己の無知さに気付いたのか?詳細は知りませんけど。

 

 

www3.nhk.or.jp

 

 

 

結局は一昔に流行った「チェーンメール」的なノリでやっただけなのかと考えてしまうが、だとしたら呆れますわホントに。

 

 

エビデンスは無いですがチェーンメールを信用する人間は、宗教やスピリチュアル、引き寄せの法則を信じてしまうような「知能の低い人間」だと思っています。実際俺の経験則だと物事を自分で考えない調べない努力しない、論理的ではなく感情的、他人任せの他力本願。

 

 

まさに自分が学生だった時に多種多様なチェーンメールが流行っていたわけですが、そのチェーンメールを他人に送る心理が理解できなかったわけですが、行きついた答えは「自分が助かれば良い」ですから、そりゃ知能が低くて当然だろうと思えるわけです。

 

 

 

。。。話がそれてしまったので戻しますね。

 

 

 

指原莉乃さん。AKBのなかで類を見ない特異な性質であり、芸能人の交友関係や生きる術や頭の回転さや臨機応変に対応できる技、HKT48メンバーのマネジメント、ワイドナショーでの言葉のチョイスが絶妙過ぎて驚かされることばかりです。

 

 

彼女の生い立ちを調べると先天的な能力ではなく血の滲む努力の塊である後天的なものであると分かっていき自然と興味を持ってしまうわけです(でも歌はいつまでも上手くならないのね(;^_^A)。

 

 

 

なのでAKBに興味はないがAKBのなかで誰が好きと言われたら迷わず彼女だと言える自信ありありです。

 

下記の写真集がたまに上戸彩さんにみえそうです(異論は認める)。

 

 

 

指原莉乃写真集 スキャンダル中毒 (講談社 MOOK)

指原莉乃写真集 スキャンダル中毒 (講談社 MOOK)

  • 作者:指原 莉乃
  • 発売日: 2016/03/22
  • メディア: 単行本
 

 

逆転力 ~ピンチを待て~ (講談社 MOOK)

逆転力 ~ピンチを待て~ (講談社 MOOK)

 

 

 

んで今回の「#検察庁法改正案に抗議します」に賛同しなかった理由。おそらく3パターンになるのではないかと。

 

 

1.「正直、この件に関して、私はそこまでの信念がなかった」は本心である。

2.AKBという組織での戦いで自分・他者の失敗から学んできた。

3. 彼女の後ろに誰かいる。それは秋元康ではなく知性の高い先輩芸能人あるいは大衆の心理を理解している者がいて、既に知恵をいただいていた。

 

 

「3」についてはかなり専門的な話になりそうなのと自分の解釈が腹に落ちていないので「3」については控えておきます。
なので今回は「1」が理由だった場合について。

 

 

彼女は賛成しても炎上。反対しても炎上していたのは目に見えていたかもしれないですね。だからリスクの低い「わからない」を直接的ではなく間接的な言葉を選んで唱えたのだろう。しかも絶対的に意見を求められ他者とコメントかぶらずノーコメントが許されないコメンテーターの立場で。

結果的に彼女は、そのように対応したことで称賛されました。

 

 

そのなかで、何か思い当たることがあったので書いていこうと思います。
何故そうしたほうが良いかも含めて。

 

 

思考の取捨選択

 

 

偶然ではなく必然と言うのかわかりませんが、今回の騒動が起きる1か月前に昨年めちゃくちゃ売れている上記の本を今年になって今更読みだしたわけですが、そのなかにある31章「性急に意見を述べるのはやめよう」の部分に当てはまることを思い出したので今回書こうと思ったのが動機です。

 

 

よくある成功者になる条件や自己啓発書やセミナーで「即断即決」「常に意見を持っていて述べることができる」「答えはYESかNOしかない」とか唱えていたり、学校教育において問題の答えを求められたときに「何でもよいから答えなきゃいけない」ような空気感に支配され続けてきて、結果的に答えが間違いたっだときに袋叩きやさらし者にされたりと不条理な結果になったりと。。。

 

 

時と場合によっては板挟みな状態の中で絞り出した意見や答えが「軽率に意見を述べている」と捉えられてしまったり。または自分の知識・経験とは程多い専門外な問いに答えなければならなかったりと。

 

それってどうなのよ????

 

でもいままでやってきたこと。それが間違いだったとしたら??

 

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「Think Clearly」250p引用

 

"答えを発信する際、私たちが犯しがちな間違いが3つある。

1つ目は、自分が興味の無いテーマにも意見を述べてしまうこと。

私は友人との議論の最中に、自分がドーピング問題に激しい怒りを感じているかのような意見を口にしていることに気付いた。世界のトップクラスのスポーツに私は全く興味がないというのに。

私たちの意見の火山は、手近にあった新聞を開いただけでも動き始める。だが、興味の無いことに対する意見にはフタをしておこう。私も先日の議論の際にはそうすべきだったのだ。

 

2つ目の間違いは、答えられない質問にまで発言してしまうことだ。

 

次に株式市場が崩壊するのはいつか? 宇宙はいくつも存在するのか? 次の夏の天気はどうなるか? 誰もそんなことには答えられない。専門家でも無理だ。答えられない質問にまで、意見を噴火されてしまわないよう注意しよう。

 

3つ目は、この章の冒頭で上げたような複雑な質問に性急な答えを返してしまいがちなことだ。3つの間違いの中でも、最も深刻なのがこれである。

 

 

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どうでもいい事に思考を使っている場合ではない。

 

僕達には質問が複雑な場合も含めて特に「即座に直観で答えを出す傾向」がある。感情や直観による答えは非常に早い。

 

「ポジティブ」か「ネガティブ」か
「好き」か「嫌い」か
「カッコいい」か「キモイ」か
「カワイイ」か「ブス」か
「YES」か「NO」か

 

意見を言うのは大切だ。しかし早く発言してしまったために間違った判断をしてしまうのも大きな問題になりかねる。もう一つ用意しよう。それは

 

 

精神的な(または脳内に)「複雑すぎる質問」フォルダを用意したほうがイイ。

 


自分が興味を持てない質問や答えられない質問や難解すぎる質問をしまっておくためのフォルダ。それでも一日当たりいくつかは意見を述べていいテーマや意見を述べなければならないテーマは残っていくようになる。

考えるべきことを正しく選んで、それ以外のものは全て「複雑すぎる質問」フォルダにいれる。

 

 

そして素直に言いましょう。「わからない」と

 

 

言うのにも心理的に抵抗感が出てくるかと思いますが気のせいです。

意見がない、「わからない」ことは「知能の低さ」の表れではない。「知性の表れ」だ。意見がないことはまた財産でもある。現代が抱える問題点は、情報の過多ではなく意見の過多だからです。

 

そしてそれは自分を守るためでもある(めちゃ大事)

 


軽率に意見を述べる頻度が少なければ少ないほど人生は向上する。
自分の意見が尊重されるのは、自分の立場を詭弁に論証できた時だけ。

べつにわざわざ意見を述べなくても世界は問題なく回り続けるのだから。

 

 

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「Think Clearly」252p引用

 

質問に「わからない」と答えてイイ

少し前、あるジャーナリストに私の政治的な傾向を聞かれたことがあった。どうやら、物書きはどんな分野のテーマにも意見を述べる資格があると思われているらしい。私は「自由主義者権威主義者か」「所得税より消費税のほうがイイと思っているか」と尋ねられた。

 

私は彼の眼をまっすぐ見て「わからない」と答えた。

 

すると彼はボールペンを持つ手を下ろし、私の答えが理解できないとでも言いたげな作り笑いを浮かべた。

 

Q.「わからないとは、どういうことですか?」
A.「その質問についてちゃんと考えてみたことがないから分からないということだよ」

 

Q.「でも何かしら意見はあるでしょう?」
A.「意見は無いんだ。そのテーマは私の『複雑すぎる質問』フォルダに入っているからね」

 

ありとあらゆることに意見を述べなくていいのは、とても開放感がある。それに、意見がない、「わからない」ことは「知能の低さ」の表れではない。「知性の表れ」だ。意見がないことはまた財産でもある。

 

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「Think Clearly」は現代唱えられている自己啓発とは真逆のことが多々記載されておりますのでご興味あれば自粛期間中読んでみていかがでしょうか?

 

 

おわりに

 

いやはや。コロナによって人間性があぶりだされてきたという意見があったりするが、どちらかと言うと「地に足がついていない」人間が晒しだされたりと。世の中の規律が厳しく正す方向に向いてしまっているが故なのか?

 

 

演劇界隈の連中が色々とあぶりだされているけど次はどこの界隈でしょうか?

 

イケハヤ界隈?それとも。。。。

 

ふと思い出したことがある。2017年の秋ごろに「2020年前後に起こる占星術の話」が現実に起こっているのではないかと思える。ただの後知恵バイアスかもしれないが。需要は無さそうかもしれないが近日中に書こうかなと。